海部郡医師会について 沿革

沿革

年代不明初代会長 土肥 邦美 日和佐町開業医
年代不明2代目会長 多田 六郎 阿部村開業医
年代不明3代目会長 勝瀬 安利 日和佐町開業医
県医師会議員 和田 源六
昭和11年4月〜昭和33年夏まで4代目会長 横山 孔昭 海部郡開業医
昭和17年10月応召
昭和21年1月役員 郡医師会は横山支部長 勝瀬卯七郎 副支部長 外会員34名であり内9名は三岐田・日和佐・川東の農協厚生連経営の病院の勤務医で開業医は25名であった。
昭和23年牟岐町 中内一郎経営の中内病院が牟岐町立病院と組織がえし、医師中田一郎を含む5名で発足した(後年の県立海部病院となる)
昭和24年郡支部は郡医師会となり、横山会長、糸林副会長、理事4名、監事2名、県代議員2名となる。
昭和27年木頭村が那賀郡に編入したのと会員の死亡、転出等により会員は20名に減少した。
昭和33年9月由岐町の開業医で会員の徳田浩一が開業まもなくオートバイで往診中に田井の浜海岸で列車にはねられ即死する悲惨な事故があった。
昭和34年糸林昌訓が5代目会長に、副会長に中内義衛、理事は篠原勝、中川日出雄、田中俊行、代議員・久米要、勝瀬正夫を選び、横山前会長を顧問に推した。
昭和37年5月牟岐町立中央病院が赤字経営に陥り、県営移管を請願し、昭和38年4月県立海部病院として開院することとなった。
昭和38年9月臨時総会を開き、再診料10点獲得に関して日医の方針を全面支持し、辞退届を郡医師会長の手元まで一斉に提出する。その後、再診料は昭和43年1月より3点(内科加算共5点)、昭和43年2月より9点、昭和43年7月から10点をついに獲得した。
昭和42年5月県医師会では地域職域奉仕事業の1つとして無医地区巡回診療を実施することになり、県下の最初として海部郡久尾地区より開始して5月31日県知事、部長、地元県議、町長、町会議員全員。診療側より県医師会長、副会長2名、常任理事2名、郡医師会長、本日の担当医師、調剤師、看護婦等多数入山し、久尾地区は有史以来の盛況を呈した。集まってきた患者80余名に各医師こもごも診療、注射、投薬などを実施する、いずれも満足の態であった。
以来、久尾と同町船津を交互に毎月1回他郡市の医師の出張診療をわずらわした。その後1年有余で宍喰町のA会員、折野保徳が月2回出張することになった。
中略
平成6年8月9代目会長 居和城 武
平成11年9月海部郡医師会50年史発行
平成18年4月10代目会長 竹林 貢
平成22年4月11代目会長 冨田 信昭
平成26年4月12代目会長 折野 真哉
平成30年4月13代目会長 松田 啓次